帰路

帰路


 順之助と千代子は幼馴染の間柄であった。互いに数えで二十になるであろうか。順之助と千代子は下校時刻に合わせ、学校の帰り道の畦道を自転車で押しながら帰路につくのが常であった。千代子の黒く長い髪は、初秋の独特な光に透けて、若い女が持つある種独特な艶を放っていた。順之助は伏し目がちに自転車を押しながら、千代子との距離感を測っていた。千代子の瞳はまるで千代紙のように目まぐるしく、此の世のありとあらゆる男を惑わせては、すぐに袖にするような、そのような悪戯心を持ちあわせていた。

「貴女はどうして、そのような思わせぶりな態度をとるのですか。」

 千代子は少し沈黙した後、ようやく重い口を開いた。

「私はお母様に教わったのです。女はすぐに老いてしまうから、若いうちは我がままでいなさい、って。」

「まるで千代紙のように艶やかな瞳をそのように無邪気に配られてはこちらがたまったものではありません。」

「あら、順之助さんもそのような事を仰るのですね。私は貴方の事が好きよ。でも、それはどうしようもない物なの。」

「いまいち得心がいきませんね。私の所作を見れば、千代子さんにたいする思いの丈など、判るものでしょう。」

「なら、はっきりと口に出して仰ってください。」

「それは野暮というほか、ありませんね。」

 順之助と千代子のあいだに、少しの沈黙が降りた。ひぐらしの鳴き声と畦道に出来た二人の影だけが前に進んだ。陽はもう落ちかけていた。いつのまにか千代紙のような千代子の瞳が真っ暗になっていた。

「順之助さん、私に千代紙をくださいますか。」

「お櫛などのほうが、よろしいのではないですか。」

「いえいえ、私は千代紙が欲しいのです。」

「折り鶴でもおるのでしょうか。かまいませんが、小一時間ほど待っていただけますか。一度、家に取りに参ろうかと思います。」

「順之助さん、今すぐに私は欲しいの。」

 菊池順之助は老舗の和紙屋の倅であった。辺りはまるでビロウドのような夕焼けに染まっていた。からからと自転車を押す二人の間に再び沈黙が降りた。順之助はお世辞にも女慣れをしているとは言い難かった。どうしようかと思案をしているうちに、分かれ道へと二人はさしかかった。順之助は自転車を押すのを止めて、じっと千代子を見つめた。」

「千代子さんは、欲張りですね。まるで子供のようです。」

「私はただ、千代紙が欲しかっただけよ。」

「待つ事も肝要な事だと、私は祖父に教わりました。」

「私は生まれてこの方、待った事など一度もありません。」

「急いては何事も立ち行かなくなるかと存じますが。」

「それはそれで、それはそれで構わないのですよ。」

 二人は暗い畦道を別々の方向に進みだした。千代子は長く黒い髪を後ろで束ね、薄ら笑みを浮かべながら帰路へとついたようであった。順之助は三井寺の方角へと、とぼとぼと自転車を押しながら薄暗い畦道を進んで行った。順之助の脳裏には、千代紙のような千代子の瞳が写真のように焼き付いて、離れなかった。