風景

風景




10:00
起床。モノクロのテレビジョンが脳の中に入ってるような感じがする。ひどく、ざらざらした音が鳴る。泥人形のよう。


11:00
斎藤緑雨を読みだす。僅かばかりも光明を見いだせず。投げ捨てて煙草を吸う。ホメロスに光明を求め、オデュッセイアを少し読む。永遠の書物とは、かくなるものか、と思うに至る。


12:00
信号が入れ替わったのか、曇天のせいなのか、世界が鉛筆画のように見える。気分が優れず、ベッドに横たわり目を瞑る。


13:00
浴槽で酸性雨を浴びる。躰が溶けていくような感覚に陥る。天枠から入ってくる黒い光が弦歌のように思われ、神の使いかと錯覚する。死人を見るような冷えた眼で、何事もなかったように、痩せた躰を見る。


14:00
湯あみの後、下手糞なギターを爪弾く。超越的な事象を想いながら弾くギターは痛快である。宮廷に仕える音楽家のような気分になれる。


15:00
ようやく、最初の食事を摂る。滋養のないものばかりが食卓に並ぶ。生きる意志の脆弱な者が、果たしてこれを食べてもよいものか、と少し思案する。後、シフォンケーキを食するようにゆっくりと味わう。


16:00
夕餉の仕度をする香りが、隣家や斜向かいの家から立ち上る。片田舎の集落の美しさを感じる。突然、生きる事というのは、シオランを読む事で、死ぬ事はホメロスを読む事なのだと悟る。


17:00
ニック・ドレイクを部屋で流す。シリコンでできた厚い雲を軒先から見上げる。荘子の一文が雲間を舞っていた。文とは天を愛する事であり、音とは人に恋をする事なのであろうか。


18:00
頬杖をつきながら、テレビジョンを見る。まるでメタメタな構造だな、と笑ってしまう。テレビがテレビを見ている。なんというナンセンスさ、滑稽さなのであろうか。


19:00
突然、携帯電話を壊したい衝動に駆られる。薄い氷のような人間関係になぞなんの意味もない。厚さのない世界とは携帯電話の事ではないか。思いとどまり、ツイッターをポロポロと眺める。よく皆がこのような現象を見て正常でいられるな、と感心する。


20:00
ツイッターで加速する共時性について思案する。これは消費を加速させ、文化そのものを殲滅しうる威力をもった危ない兵器だと改めて思う。人の心を垣間見る事は本当に無粋な物であり、空間を切り取る物である。


21:00
黒田家のくだらない三文芝居を見終わる。史書にたいして記述のない、取るに足らない人物を掘り下げてなんの意味があるのであろうか。アルコールを摂取し、日記をつらつらと書く。狂っているのは手前か、貴方か、世界そのものなのか。人形のような深い眠りにつこうと思う。