三夜

三夜


 こんな夢を見た。
 自分は流行病により、病床に伏せていた。混濁とした意識の中、自分は幾度も汽車を乗り継いだ。天井の染みを数えていたところ、一人の炭鉱夫が香気を追って私の枕元へとやって来た。丁度、一間ほどの距離で私たちはほんの少し会話をした。

木蓮の臭いがしたので、此方に寄せていただきました。」

「私はきっともう、それほど長くはないのであります。ですから香を焚いてこころを安らげておりました。それより、この庵に何用でございますか。」

 黒い睫毛のような驟雨が先程から戸を叩いては消え、叩いては消えを繰り返し、まるで太鼓のように自分の耳朶を打った。木蓮の臭いに慣れた頃、汽車は天竺へと到着した。

「手前は天竺で石炭を売って身を立てている者でございます。出自は甲府でございます。時世の所為でありましょうか、お役人が発破を使って手前は生き埋めにされました。そういうわけでこの天竺に流れて来たのであります。」

「それはそれは難儀でございましたな。私も故あって家族と離縁し、この様でございます。日に雑穀を数度口にし、なんとか糊をしのいでおります。」

 その男との会話がどこか河童のやうに奇妙で、自分はすっかり可笑しくなってしまった。お堂によくある地蔵のような面持ちをした男の顔が天井にじっと張り付いていた。自分も地蔵のような面持ちをしていたのか、男もすっかり此方に気を許しているようであった。ふと気づくと、自分の後頭部に違和を感じた。いつの間にか、枕の中身の蕎麦がらが、石炭へと変わっていた。

「どういうことですか。これでは私はろくに眠ることができません。すぐに元に戻してください。」

「人間、慣れというものは怖いものであります。あちこちに行商に出かけますが、皆さま方はさぞ気に入ってくださいます。貴方もすぐに慣れることでしょう。そう、この木蓮の香の臭いのように、すぐさま慣れてしまいます。眠るという事は、とても勿体がない事なのですよ。」

 自分は寸刻ほど思案した。此の庵の庭先から見える水墨画のような景色をじっと見つめて「此処が天竺なのだな」とこの時始めて気づいた。枕元の香は燃え尽きて消えていた。